今日、献血に行く。当地に年二回定期的に巡回があり、その都度行っている。
これで25回目らしい。
病院で行っているため玄関を入ると骨髄バンクのドナー登録をお願いされた。
「入ってますよ」と言い献血車まで行った。
実は遥か以前に自分は骨髄ドナーとなっています。しかし休止していました。
これには理由があります。
骨髄バンクというのは血液の病気に罹った方が登録し、骨髄ドナーから提供された骨髄を提供しするコーディネートをしている組織です。
ドナーは「骨髄を提供してもいいですよ」という提供者です。
自分は確かドナー登録して10年以上は経つと思う。
これもいつぞやの献血の際に行ったのを覚えています。
登録した当初は会報以外連絡が無く何も気にしていなかった。何年間も連絡が無かったと思う。
そんな中、平成22年の11月母親がガンに罹り倒れた。
神経内分泌細胞癌という特殊な癌で発見された時はもう手遅れの状態。
回復など望むべくもなく抗がん剤で延命を図る手段しか無くなった。
当然、治療のため入退院を繰り返す中、仕事は自分一人でやらなくてはならなくなった。
一日たりとも仕事場を空けることが出来ない状態。休めない。
今度、自分が倒れれば一家が路頭に迷う事になってしまう。
そんな母親の治療中、平成23年の4月に骨髄バンクから連絡が来た。
「ドナー候補の一人として選ばれました。」
ドナー候補として選定されたお知らせでした。
登録当初は何気なく登録した骨髄バンク。
その時、初めてドナーとはどんな過程で骨髄を提供するのか?と調べた。
おおまかな流れとすれば何回も病院へ検査に行き(それも近隣の病院ではなく金沢市の大病院)へ行き何回か血液の検査を行い、最終的に弁護士立ち合いのもとでドナーと家族の最終意思を確認し家族の承諾も得て提供するという仰々しい流れだった。
そりゃそうですよね。
患者さんは主として血液がんの患者さんで自らの骨髄を抗がん剤や放射線で破壊してしまってから自分の骨髄を移植する訳です。
もしそうなってから家族の了承が得られなかったり「嫌だ」とか「できない」なんて言ったら患者さんは亡くなってしまいます。
とても罪深いことになりますのでそうならないためにもこれだけ仰々しいのでしょう。
しかしあの時はここで問題だった。
母親が倒れる前は自分がいなくても母親に仕事をカバーしてもらう事が出来た状況でした。
母親が入院するまではこれは全く大丈夫だった。
しかしその時はその状況とは程遠い状態です
この状況で自分が休めば自営業の自分は一切の収入が止まってしまう。
収入を放棄し病院へ検査に行くために何回も仕事を休むことができるのか?
骨髄採取となると一週間(その当時)は休まなくてはならない。
その収入の担保が出来るのか?
自営業たる自分の収入が止まってしまうと家族が大変なことになってしまう。
また大変な負担をかけてしまう。
骨髄ドナーとはほぼボランティア。
現在の自分の状況でそんな事が許されるのか?自分の生活に、家族の生活に直結している話。
母親の看病で迷惑をかけている上に「ドナーになって仕事休んでもいいか?」と家族に相談できなかった。
重たい葛藤だった。
散々考えた挙句、「自分は仕事は休めない。自営業たる自分が休めば収入が止まってしまう。できない。許してほしい。」と判断し、ドナー候補となった事をお断りしてドナーを休止とした。
案の定、母親の容体は日に日に悪化して行き9カ月の闘病をして亡くなりました。
葬式を終え、その喧騒が一段落ついたあるときカバンの中に入っていた骨髄バンクのカードを見てふと思い出した。
そしてそれにその後、悩まされることになる。
「あのときドナーになっていたのかもしれない・・・自分が骨髄提供していたらその患者さんは助かったかもしれない・・・」
「自分の生活収入欲しさに断った。」
「きっと患者さんは期待しただろうに・・・」
「誰もドナーがいなかったらその人の運命は自分が握っていた」
「自分が断ったためにその人が亡くなったら自分は殺人者である。」
「自分の欲のために何と言う罪深いことをしたのだろう」
こういった後悔にひどく悩まされた。
本当は国がこういった休業補償やその他ドナーに対するケアを手厚くすべきであろうが、現在の政府に何を言っても理解するまい。
金の事ばかりを言っているが一家の収入の柱となっている自分がこれで休めば一家がどうなってしまうかと言う事が一番の心配なのです。
大企業ならば休業や補償はあるという。
しかし自分は小さい自営業。自営業にはそんな補償は一切ない。
自営業とはまことに情けないものです。
自治体が補償を行っているところもあるが広がりを見せていない。
人一人助かれば必ず社会の柱になって行く行くは全てが戻ってくるのですが目先の事ばかり考えてこういったことに目が向かない社会。
これ以上はここでは書きませんがどうこう言っても現状はこうで始まりません。
自分のもので再生するものであり、それを分け与えて病気が回復して患者さんが復活できるなら安い。
確かに収入の面は怖いが今後の人生の後悔はしたくない。
あの時断った贖罪の意味もある。
ドナーとしてできる期間もあと数年しかない。
もういい。決心した。
このたび、献血に行った際に骨髄ドナーとしてドナー再開の手続きを取った。
この事は家族にも話してある。理解してもらえてると思っている。
今度はそういう連絡があっても乗り越えたいと思う。
患者さんのためにも、自分の残った人生を後悔しないためにもね。
自分の再生するもので誰か助かるなら安いものです。